7月10日「ウルトラマンの日」を記念し、小説『Ultraman: The Official Novelization』の著者 パット・キャディガン氏(SF作家)のインタビューを一部無料公開いたします。
『Ultraman: The Official Novelization』とは
『Ultraman: The Official Novelization』は、2023年12月にアメリカで発売された『ウルトラマン』を現代風にアレンジした小説です。
著者は、SF作品に関連するヒューゴー賞、アーサー・C・クラーク賞などの受賞歴を持つパット・キャディガン氏です。
「TSUBURAYA IMAGINATION」では、映画評論家・クリエティブディレクターの清水 節氏がパット・キャディガン氏に特インタビューを実施しました。
『ウルトラマン』との出会いや作品へのこだわりについて掘り下げた読み応えのある内容となっています。
「ウルトラマンの日」を記念し、全6パートのうち冒頭の2パートを無料で公開いたします。
【無料公開】
[1] 唯一無二のスーパーヒーロー
[2] 『ウルトラマン』の世界観を貫く楽観性
TSUBURAYA IMAGINATION(無料登録以上)では、以降の全章をお楽しみいただくことができます。
[3] アメリカ版ノベライゼーションの独自設定
[4] 精神的な高みを目指す上昇志向
[5] 金城とキャディガンの感性をつなぐ「金星人」
[6] 普遍的なストーリーはグローバルに訴求する
「ウルトラマンの日」記念 特別インタビュー 一部無料公開
幸福感に満ち、世界を楽観的に捉える『ウルトラマン』。
異なる文化圏であっても良きストーリーの到達点は同じ!
アメリカ版公式ノベライゼーション『Ultraman: The Official Novelization』著者
SF作家 パット・キャディガン INTERVIEW
構成・文/清水 節(映画評論家/クリエティブディレクター)
世界へ雄飛するウルトラマン。アメリカ人クリエイターの感性で生み出されたNetflixオリジナル長編CGアニメーション映画『Ultraman: Rising』が全世界へ配信されて好評を博す中、もうひとつの“海外発”にスポットを当てたい。それは、シリーズの原点“初代ウルトラマン”のストーリーを浸透させるべく、昨年末に出版された『ウルトラマン』アメリカ版公式ノベライゼーションだ。題して『Ultraman: The Official Novelization』(発行:Titan Books/発売:2023年12月12日)。邦訳未出版であるため知る人ぞ知る書籍だが、著者はSF小説ファンの間では伝説的な存在、パット・キャディガンだ。ウルトラマンと日本への愛情あふれる、SF作家へのオンライン・インタビューをお届けしよう。
1.唯一無二のスーパーヒーロー
パット・キャディガンは、1953年にニューヨークで生まれ、マサチューセッツで育ち、カンザスシティでの暮らしを経て、現在はロンドンに住むイギリス系アメリカ人だ。1980年代におけるSF界の潮流だったサイバーパンク・ブームの一翼を担った彼女は、“サイバーパンクの女王”と呼ばれてきた。「アーサー・C・クラーク賞」を2度受賞し、『The Girl-Thing Who Went Out for Sushi』(2012)では「ヒューゴー賞」中編小説部門最優秀賞と、日本の「星雲賞」海外短編小説部門を獲得している。また、彼女が執筆した『エイリアン3』と『アリータ:バトル・エンジェル』のノベライゼーションは、現在日本でも刊行されている。
因みに、ヒューゴー賞とは最も歴史のあるSF・ファンタジー賞であり、長編小説部門の受賞作家を列挙すれば、SF史が語れるほど。日本でも著名なヒューゴー賞作家の名を挙げるなら(受賞順)、ロバート・A・ハインライン(『宇宙の戦士<スターシップ・トゥルーパーズ>』)、フィリップ・K・ディック(『高い城の男』/※代表作『ブレードランナー』)、フランク・ハーバート(『デューン 砂の惑星』)、アーシェラ・K・ル=グウィン(『闇の左手』/※代表作『ゲド戦記』)、アーサー・C・クラーク(『宇宙のランデヴー』/※代表作『2001年宇宙の旅』)、アイザック・アシモフ(『ファウンデーションの彼方へ』/※代表作『アイ,ロボット』)、ウィリアム・ギブスン(『ニューロマンサー』)、J・K・ローリング(『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』)、劉慈欣(『三体』)……。錚々たる顔ぶれであることがわかるはずだ。まずキャディガンが、我らの巨大ヒーローと出会ったエピソードから伺おう。
――思春期を送った1960年代後半に、リアルタイムで初代の『ウルトラマン』に出会ったそうですね。
キャディガン ええ。『ウルトラマン』がアメリカで初めて放映されたのは、確か1967年だったと思います。まだ画像が粗い時代のテレビ放送でしたけれど、13歳の私は学校から走って帰り、毎回観るのが楽しみでした。すでに将来SF作家になることを決めていたのですが、より一層その思いを強くしましたね。片田舎で育ったものですから、世界中の子どもたちはどんな作品を楽しんでいるのかということにも興味があったんです。『ウルトラマン』には、遠く離れた日本という国に住む人々が親しむ作品に触れるという楽しみもありました。私にとって異なる文化の作品であり、別の言語で描かれていたので、容易に触れることができる作品より、興味深いものに映ったという面もあったかもしれません。
――1960年代のアメリカでは、すでにDCやマーベルのコミックを始めとして、数多くのスーパーヒーローが存在していました。異星からやってきたという設定では『スーパーマン』が有名ですが、ウルトラマンの独自性とは何でしょうか。
キャディガン 私は『ウルトラマン』の世界観にどっぷり浸っていたので、当時はその独自性に気づかず、むしろ馴染んでしまっていたかも(笑)。確かに、ウルトラマンのようなスーパーヒーローは他には存在しませんね。過ってハヤタ隊員を死なせてしまった彼は、何らかの形で贖罪を果たさねばいけないと考えました。宇宙の片隅に住むたったひとりの生命に対してすら責任感を抱いて、自分の生命を与えるだけでなく、自らの力をハヤタが活用できるようにするというメリットをも授けた行為は実に見事で、その力を怪獣と戦うために生かしていくのは、本当に素晴らしいと思うんです。
多くのSF作品では、文明が進んだ星の高等生物から見れば、地球に住む人間はとてもちっぽけな存在です。高次元の生命体にとって、本来は情熱を注ぐ対象にはなりそうにない人間。しかし、光の国のヒーローにとってはそうではありません。それどころか、むしろ人間を愛しているという基本姿勢があるでしょう。愛すべき人間と一心同体となるため、ウルトラマンは人間の中へ入っていく。それは、他のスーパーヒーローとは異なる大いなるポイントだと思いますね。
『ウルトラマン』の世界観を貫く楽観性
キャディガンが牽引したサイバーパンク小説は、遥か外宇宙をモチーフとした伝統的なSFとは異なり、退廃的な未来観をベースに電脳空間やサイボーグをモチーフとし、人間の精神とテクノロジーの関係を探求するテーマが画期的だった。『ウルトラマン』は彼女に、どのような影響を与えてきたのだろうか。
――唯一無二である『ウルトラマン』の世界の、どんな要素に惹き付けられたのですか。
キャディガン 何と言っても『ウルトラマン』というテレビシリーズは、幸福感に満ちていると思うんです。当時アメリカで放送していた『トワイライトゾーン』や『アウターリミッツ』というSFテレビシリーズは、どちらかと言えばホラーに近いテイストでした。それはそれで面白かったのだけれど、異なる文化圏のSF作品である『ウルトラマン』には優しさがあって、世界を楽観的に捉える姿勢が、私に響いたのだと思います。
――未来に希望を抱いた1960年代の作品と、あなた自身の作品の共通点とは?
キャディガン 私が描いてきた作品も、楽観的な姿勢に貫かれていると思っています。たとえ劣悪な状況であっても、私が描くのは、それに抗う姿です。逆境の中で、自分の中の長所や良心を見いだして破壊されたものを修復し、解決策を見つけだし、どんなことがあっても立ち向かっていこうとする姿勢なんです。
――あなたのポジティブな世界観に、日本発のスーパーヒーローの影響もあったかもしれませんね。
キャディガン 外見や言語の違いはあったとしても、『ウルトラマン』から、アメリカ人も日本人も人は人に変わりはないと感じていましたね。ただ、登場人物をアメリカ人と比べるなら、日本人の方が互いを気遣い合っているように感じました。アメリカにいると、他国より広大な国だというサイズ感を自覚していないことが往々にしてあるんです。人の数は多いし、いろいろな意味で皆が異なり、住んでいる所もバラバラに離れている。日本ではコミュニティの距離感が近いように感じたのです。『ウルトラマン』を通して知った日本文化は、自分自身の文化よりも共感できるように感じました。そして異なる文化圏で育っても共通点は必ずあり、良きストーリーが到達するところは皆同じなんだと思っていました。
――『ウルトラマン』の世界に欠かせない「怪獣」は、古代からの眠りを覚ましただけの生き物であったり、自然災害のメタファーである場合も多く、欧米のモンスター観とは異なる存在ですよね。
キャディガン そうですね。巨大な生き物が、突然現れて都市を封鎖したり、牙や爪でビルを破壊してしまう。欧米には、そうしたモンスターはほとんど存在しませんでした。欧米文化が反映されたモンスターと言えば、冷戦下のアメリカに吹き荒れたマッカーシズム(反共産主義に基づく政治的な運動)による恐怖感が、エイリアンによって次々と人間が侵食されていく映画『ボディ・スナッチャー 恐怖の街』(1956)などとして表現されることもありました。一方、古典的な『フランケンシュタイン』はテクノロジーの進化や悪用する人間への恐怖の表れだったのでしょうね。
「怪獣殿下」の古代怪獣ゴモラは、生け捕りにされて日本に運び込まれてきますが、覚醒して暴れだします。最後にアラシ隊員は、「憎むべきやつだったが、可哀想なことをした」という趣旨のことを言っていましたね。都市に持ち込まれなければ、悪しき存在ではなかったわけです。すべてが白か黒かであるわけではない。『ウルトラマン』では、グレーゾーンというものを考えているんだなと感じました。白か黒のみにしてしまえば、共感できない者が現れますから。
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[1] 唯一無二のスーパーヒーロー
[2] 『ウルトラマン』の世界観を貫く楽観性
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[3] アメリカ版ノベライゼーションの独自設定
[4] 精神的な高みを目指す上昇志向
[5] 金城とキャディガンの感性をつなぐ「金星人」
[6] 普遍的なストーリーはグローバルに訴求する
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